絵描きの記

絵描き 出口アキオの絵画制作と日々考えたこと、見たことの記録です。

「ハインリッヒ・フォーゲラー展」~東京ステーションギャラリー~

展覧会場での肖像画や写真を見ての推測であるが、

青春期から青年期のハインリッヒ・フォーゲラーは、芸術家というより繊細かつ

神経質、感情にやや起伏のある文学青年といった印象を受ける。

 

初期の作品から受ける文学的な憂いは、「ちょっと微熱」状態である。

画家が第一次大戦後、一転して熱心な社会主義運動に身を投じたのは、

風邪をこじらせて感染症にかかり、「高熱にうなされている」感じを受ける。

そして晩年、熱が下がって再び「ちょっと微熱」状態に戻る。

しかし青春時代のそれとは違って、晩年の作品からは病み上がりの虚脱状態の

ようなものを感じる。あまり高熱になると意識朦朧だが、微熱のときは、

ほろ酔い状態のようなもので、心地よさを感じることもあるが、

僕はこの「ちょっと微熱」状態がフォーゲラーの魅力ではないかと思う。

白樺派の文学運動については勉強不足であまり知らないが、

明治末から大正にかけての日本社会、文学青年も、やがて訪れる「高熱」の前の

「ちょっと微熱」状態であったのではないだろうか…。

今回の展覧会では、装丁やエッチングなども素晴らしかったが、

特に油彩画がすごく良かった。ドイツ時代はもとより、ロシアに渡ってからも、

「熱」が下がって昔のスタイルに戻りつつあった晩年は、

「スキーをする子供の頭部」や「女優ロッテ・レービンガーの肖像」など…

連続してではないが、いい仕事を残している。

僕は本格的なフランス料理ほど食べた日の夜に気持ち悪くなることが多い。

食べているときは、それなりに美味いのだが、やはり本格的なところほど

油やバターの量が半端でないのだろう。

西洋の油彩画、とくにバロック以降の作品を大量に鑑賞したときなど、

似たような消化不良を起こすときがある。

しかし、フォーゲラーの油彩画は、フレンチでも素材や味付けは洗練されていて、

量や油を調整して胃にもたれないように心がけているヌーベル・フレンチのようだ。

洋食を食べるようになって100年、それまでは米や野菜中心だったように、

ずっと日本画のつや消しの画面に親しんできた私たち日本人の体質に、

フォーゲラーの作品はあっているのかもしれない…。

僕は長いこと油を使った作品を描いていないが、

来年はぜひ油彩画をやってみたいと思った…。

ハインリッヒ・フォーゲラーという作家の存在も作品もこの展覧会に来るまで

まったく知らなかったが、上質な作品の中で心豊かな時間を過ごすことができて、

幸運な師走の一日になった。