ジェームス・アンソール、レオン・スピリアールト、コンスタント・ペルメーク、
彼ら5人は、かつてフランドルと呼ばれたベルギーの出身であり、
19世紀末~20世紀にかけて、ほぼ同時代を生きた作家たちであるが、
「印象派」や「フォービズム」、「キュビスム」といった美術運動のグループで
しばし見られる作風や理論、思想的な共通性は彼らの中に見当たらない。
しかし、展覧会を見終わってみると、一見作風も技法も異なる彼らのなかに、
非常に濃密な共通性を感じた。
少し時間をおいて、その共通性は、「力強い意思」という言葉で統一されている
ような気がした。
独自のスタイルを貫き通したため、アンソールにしても、デルヴォーにしても、
当初、中央画壇からは酷評された。彼らは生涯自分自身の芸術に対して、
誠実であったと同時に、いい意味で「頑固」であったと思う。
フランスの印象派運動も同じように考えられるかもしれないが、
印象派の画家が試みたことは、やはり当時のサロンを頂点とする美術画壇に
対するもっと過激な「革命闘争」であったような気がする。
強力な権力の象徴であったサロン(アカデミズム)は「王侯貴族」であり、
本人たちはそんな気はなかっただろうが、モネやセザンヌ、彼らはアカデミズムを
崩壊させて、近代美術の基礎を築くという革命を成功に導いた「市民」であった。
しかし、ベルギーの巨匠たちの場合はそんな美術史の中の革命とは孤立無縁。
もっともっとパーソナルで、それぞれの仕事や芸術家とての生き方が自己完結
されている。
彼らの芸術革命の対象は、アカデミズムのような権力に対してでなく、
あくまで自己の内面にあったと思う。
印象派が、その後続くゴッホやゴーギャン、マチス、ピカソなどにその精神性を
進化させながら引き継いでいくところは、黒船来航から明治維新までを描いた
大河ドラマでも観ているようだ。
対してベルギーの巨匠たちは、一話完結のドラマを集めたオムニバス映画に
例えられるかもしれない。
人物、風景、静物…なにを描いてもまったく異なったアプローチを試みている
各々の作品からスタイルこそ違うが、「革命の精華」が伝わってきた。
今日は、芸術家にとって「力強い意思」が自己の芸術を完遂させるために、
いかに重要であるかを納得させられたと同時に、ベルギーの巨匠たちの
仕事振りから窺える「しなやかな頑固さ」が気分を清々しく高揚させてくれた。