久々の国立西洋美術館。
今日は散歩がてら、開館前の朝9時すぎに列に並んだ。
チケットを買い求め、定刻ピッタリにドアが開いた。
美術館の開館と同時に入場なんて、めったに経験がないので驚いたが、
美術館の人全員が並んで、「おはようございます。いらっしゃいませ」と
いっせいにおじぎをして出迎えてくれる。
デパートのオープンみたいだが、確かに気分はいいものだ…。
この展覧会、国立西洋の企画では久々のヒットだと思う。
何よりもコレクターのウインスロップ氏のセンスが素晴らしい。
19世紀のイギリス・フランス絵画とコレクションの範囲を限定しているが、
それによって窮屈さや無理なこだわりみたいなものは感じさせない。
ごくごく自然な流れで鑑賞することができる…。
磨き抜かれた審美眼と若くして成功した財力のなせる技か…。
作品では、印象派の礎を築いたといわれるギュスタフ・モローも良かった
けれど、僕が特に気に入ったのはロセッティとバーン・ジョーンズである。
ロセッティは、ミレイとともに前々から興味のあった画家で、過去に何度
かまとめて見る機会があったのだが、バーン・ジョーンズに関しては、
まったく初めてだった。
いろんな展覧会を見て回っていると、年に何度か本当にその場で
「一目ぼれ」してしまうような作品に出会うことがある。
バーン・ジョーンズの「フランマ・ウェスタリス(ウェスタリスの焔)」は、
まさしくそのような感じであった。運命的とか劇的とか…
そんな大げさなものではなく、ごくごく自然な偶然の出会いだった。
まず色がいい。
油絵をやっていて、「こんな色が出せたらいいのになあ…」と
いつも考えているのだ。
次に女性の表情…顔は蒼白く、目のまわりには隈がかかったような感じに
見えるが、決して病的な暗さにはとれない。丹念に描き込まれたターバン
のディティールとあえて筆跡を残したかのような背景との対比、画面全体
を引き締める上着の濃紺…。
わずか10号くらいの作品だが、見どころは山ほどある…。
画面の中に吸い込まれるような錯覚にとらわれるのは、このような絵画の
前に立ったときだと思う。
メランコリックな雰囲気の中にも、清々しい透明感を持ち合わせた作品だ。
この作品をはじめ、バーン・ジョーンズとロセッティを中心に3回くり返し見
て回ったら、お昼になったので、中庭を望むレストランで昼食をとった。
その後、ミュージアムグッズ売場に併設されている書籍コーナーへ。
西洋美術を中心に画集から文庫本まで…書店の美術コーナーではあまり
見かけないような本もたくさんあり、ちょうど探していたバルテュスの画集
も見つけることができた。