「油画」と書いて「ゆが」と読む。
他に「あぶらが」や「あぶらえ」と読ませることもあるらしいが、
本展覧会では「ゆが」で統一されていた。
キャンバスに主に油絵の具で描く技法を藝大のように「油画」であったり、
「油絵」や「西洋画」、「洋画」など美術大学の専攻でもいくつかの呼び方が変わる。
そしてそれぞれの呼称によって微妙に絵画としてのイメージが異なる気がする。
幕末から明治にかけて日本人が初めて西洋絵画に出会い、
見よう見まねで描いた油彩作品は「洋画」というより「油画(ゆが)」
という呼び名がぴったりくる。
そこにはこれまでまったく体験したことのない技法に対しての驚きと好奇心、
喜びと戸惑いが同時に画面から伝わってきて興味深かった。
日本人が異文化としての「油彩画」と必死に格闘していたころ、
オリジナルの西洋では「印象派」という「革命運動」が始まっていた。
その革命のエッセンスを持ち帰った黒田清輝が提唱した絵画スタイルは
「新派」と呼ばれ、以後日本の西洋絵画の主流となっていく。
高橋由一らの「旧派」が新興勢力の「新派」に取って代わられることなく、
拮抗しあいながら日本の洋画界に残っていれば、
今とはまた違った美術の歴史になったのではないだろうか。