東京藝術大学油画科が前身の東京美術学校時代から卒業制作と併せて、
学生に課した自画像より、明治29年から昭和29年までの作品を集めた展覧会。
広いギャラリーに10号くらいの大きさの油彩画が延々と並ぶ。
なかでも明治から大正にかけての作家(学生)たちの作品群は、どれも凛と
していて、その眼に強い意志と主張を感じる。
個性などという言葉がそれほど日常的ではなかったと思うこの時代、
どの作品も非常に個性的で、それぞれの学生のその後の芸術家としての
生き様が容易に想像できる。
(名前から作品が浮かぶからかもしれないが)反対に昭和それも戦後になると、
自由な社会になってそれぞれの主張や個性が表現しやすくなったにも関わらず、
どれもこれもみんな同じような顔に見えてくる…。
当然作品の技術的レベルは高いのだろうが、あくまでも卒業制作で与えられた
課題だから描いたという感じだ。
明治・大正時代の学生たちは課題ひとつ出されても、それを自分の中で昇華
させて芸術的に次元の高い場所までもっていってから作品に仕上げているようだ。
だから、ひとつひとつの作品から発せられる精神性が際だっているのだ。
佐伯祐三や小出楢重、青木繁らの作品は卒業制作の時点で世界が完成され、
作家の仕事のなかの重要な作品のひとつ、文化遺産となっているので、
これらと戦後の作品を比べるのは酷かもしれないが…。
でも日本人の顔って、江戸時代から明治、大正、昭和と急激に変わっているよう
な気がする。ヨーロッパの場合、肖像画などの人物の顔を観察しても、現在の
イタリア人やスペイン人、オランダ人の顔がイメージできる。
イタリアに始めて行ったとき、サンマルコ修道院でサボナローラの肖像画と彼が
シニョーリア広場で火あぶりになった様子を描いた銅版画を見たあと外に出たら、
500年前に描かれた作品とほぼ変わらぬ状態の風景が目の前にあったことと、
サボナローラと同じような顔をした人が、そこらへんを歩いていたのには感動した。
また、サッカーのドイツ・ナショナルチームの戦いは「ゲルマン魂」と呼ばれるが、
あの金髪をなびかせて、吠えながらグラウンドを駆け回る選手たちを観ていると、
2000年前蛮族と呼ばれ、ローマ人との戦いに明け暮れていたころのゲルマン民族
の姿を容易に想像することができる。彼らの顔は500年、1000年前、2000年前と
あまり変わっていないのではないだろうか…。
逆に日本の場合は、ヨーロッパのように対象をマッスでとらえて、リアルに描く習慣
がなかったので、500年、1000年前の顔は想像しにくいが、幕末の志士の肖像や
庶民の生活を撮影したスナップなどを見ると、たった100年ちょっと前なのに、
現在の日本人と同じ民族なのか?と思ってしまうほどその顔は変貌している。
少し前に某全国新聞の広告で、幕末の勤王志士の姿をモデルにさせて、
キャッチフレーズを「平成維新…」みたいな感じにしたものがあったが、
なんというか非常に違和感があった。
どう見てもそのモデルは幕末の志士には見えなかった。
顎のラインがきれいすぎるし、お肌もツルっとしていて目も二重でパッチリ、
こんなジャニーズ系の志士は、絶対におらんかったぜよ…。
坂本龍馬や高杉晋作、西郷隆盛、近藤勇などの顔は、みんなゴツゴツしている
が、爛々とした眼をしていて、強烈な意志と使命感が窺える。
これは別の日記でも書いたけど、明治の洋画家たちの「日本の近代絵画を創る」
という志には、幕末の志士たちの日本の未来への熱き思いと合い通じるものが
あったのではないだろうか。幕末、明治の日本人とすっかり「スーパーフラット」に
なってしまった平成の日本人の顔とは、狩猟中心の豊かな生活を送っていた縄文
人とプラモデルの人形くらいの差がある。
やっぱり急激に顔が変化したのは戦後ではないだろうか…。
その原因が何なのかはっきりと解らないが、
藝大の自画像の変化は、日本人自身の変化だったのかもしれない。