ずっと、行かなければと思っていた企画展。
国立博物館の前を通るたび1時間待ち以上の長蛇の列だったので、
「また今度…」「次は絶対…」と思い続けているうちに会期も残りわずかになり、
今日に至った。
金曜日は閉館時刻が午後8時まで延長されるので、5時に入ってたら、ゆっくりと
見られるかと思っていたが、やはり週末のアフターファイブ、館内は混雑状態…。
「閉館時間まであと15分です。お急ぎ下さい!」と何度もせき立てられて、
最後はかなりピッチを上げたが、3時間でもきつかった…。
1階のロビーにあるソファーでくつろぐ暇もなく退出した。(ちなみにここのソファーは
座り心地が非常に良い。展覧会を見終わった後にドッコラショ~っと腰掛けては、
しばしウトウトしてしまうこともある…)
短時間で集中して鑑賞したこともあって、いつもより疲れた…。
でもこの心地よい疲れは優れた芸術作品に接したときほど高くなるものだ。
コンサートや映画での感動とはまた違った感覚である。
僕は美術作品を鑑賞するということは、受動的な行為ではなく能動的な行為だと
思っている。今回は鑑賞するにあたって「雪舟のしっぽ」に触れなくても、
「しっぽの先の毛」ぐらいはつかみたいと心に決めていたのだが…人混みの中、
気を使いながら慌ただしく作品と接したので、「しっぽの先の毛」どころか、
「しっぽの輪郭」を遠目から眺めただけだったような気がする。
3時間では無理とわかっていたが、やはり人がいないところで丸々一日作品と
向かい合いたい…。(そりゃ誰でもそうしたい)
以前あるテレビ番組で、伊藤若沖のコレクターとして有名なジョー・プライス氏が
紹介されていた。氏はアメリカ西海岸にある自宅で自ら所有する若沖の作品を
鑑賞する際、まず作品を鑑賞するために部屋を最適の明るさに調節する。
シェードを下ろしてカリフォルニアの強烈な太陽光線を調節し、「日本の光」に
近づけるのだ。次に温度・湿度が完璧に保たれた収蔵庫から作品を取り出し、
床の間にゆっくり吊り下げる…。一連の動作の間、プライス氏は終始「若沖のため
に、若沖のために…」と呟きつづける…。
若沖の作品の素晴らしさや美しさは言うまでもないが、代表作を数多くコレクション
するプライス氏の絵を見るまでのひとつひとつの動作や行為が、茶道や華道と
同じように様式化された厳格さと気品に満ちあふれていることには驚かされた。
「武士道」「茶道」「華道」…いずれも人間はどう振るまい行動すれば美しいかを
追求した文化ではないかと思うが、生と死がいつも隣り合わせであった雪舟の
生きた時代、絵画もやはり「絵画道」であったのではないだろうか。
そして中国の水墨画のあらゆる様式を身に付け「道」を極めた上で、
自己のスタイルに到達したところが何よりも雪舟の魅力だと思う。
眺めただけで偉そうなことは言えないが…。