先週観た「アンジェラの灰」と同様、
子供の豊かな表現力が存分に活かされた作品。
盲目の少年コルシッドは民族楽器の工房で働いているが、
研ぎ澄まされた感性(聴力)がかえって災いしてしまい、美しい音色を聞くと、
我を忘れてその音の方に導かれてしまう。ゆえにいつも仕事に遅刻してしまう。
少年が工房に通うバスの乗客、友達の女の子、工房で働く少年たち…。
これだけ子供が働いている国だから決して豊かでないだろうし、
町には武装した兵士も見かける。
ぎりぎりまでセリフを抑えた丁寧な情景描写に加えて、スラブ系、アジア系、
中近東系…様々な人種の面影が交錯する子供たちの表情から、
現在のタジキスタンの置かれている状況を垣間見ることができる…。
ラストシーンのとドアをノックする音、鍋を叩く音、民族楽器が奏でるヴェートーベン
の「運命」の旋律にあわせて踊りだす少女…
映像と音楽の見事なコラボレーションだ。
すべてが豊かになった僕たちの社会では、純粋なもの、真に美しいものに対して
素直に共鳴できることが難しくなっている。
大人から子供までコルシッドのように心で聞き、感じ、見つめることなどできない。
「心が盲目」になってしまったかのようだ。
観終わって日が経つうちに、淡い水彩絵具が心の中にゆっくりとしみこんでゆく…
そんな印象を感じている。不思議な魅力をもった作品だ。