絵描きの記

絵描き 出口アキオの絵画制作と日々考えたこと、見たことの記録です。

「ブライアン・ウィルソン ペットサウンズ・ツアー・ジャパン 」 ~東京国際フォーラムホール~

今でこそ「おたく」はある程度市民権を得たような感もあるが、僕が大学生だった

1980年代ころは「おたく」という言葉もはっきりと確立されていなかったし、「おたく」

的な生活は、今よりかなり罪悪感を持たれていたような気がする。

だいたい物事を深く考えたり、真理を追究したりすることは悶々としていて、

周りからは暗く見られるけど、絵や彫刻、文学…みんな部屋にこもって長い長い

時間を費やす作業である。

バブル前の日本社会は、それこそ怖い物なしという感じ…お金にならないことや、

暗いことは全部「悪」であって、みんながみんな無理矢理に明るく振る舞おうと

装っていたような気もする。やがて90年代に入りバブルが崩壊して、挫折や失望

といった現実を目の前にして、状況は少し変わった。

「暗くてもいいじゃん!」「おたくで何が悪い!」…その後のITの普及で、それまで

「暗い」ことや「おたく」であることを下隠にしていた人々が発言し始めた。

だから個人のウェッブサイトを開設して、こうして自作の文章を公開していること

自体、80年代的にとらえると「ものすごく暗い」のだ。

ブライアン・ウィルソンという天才が作った最高傑作「ペットサウンズ」がアメリカで

発表されたのは1966年。アメリカがベトナムという挫折を味わう直前である。

発表当時この作品の「巨大さ」に感づいたのはポール・マッカートニーを始め、

ごくごく一部であって、ファンやマスコミ、他のメンバーからでさえ、ブライアンは

「おたッキーで暗いヤツ」の一言で片づけられていたようだ。

しかし、この「ペットサウンズ」以降時代は大きく変わる。若者を中心にあらゆる

価値観や思考法が短い間に変化するのだ。

60年代後半以降、アメリカではいち早く「おたく」が市民権を得て、社会を変革し、

文化や経済を引っ張るアメリカ文明の牽引車にまでなっていく。

ビル・ゲイツスティーブ・ジョブズスティーブン・スピルバーグ…21世紀の現在、

アメリカ経済・文化は、これら「スーパーおたく」たちで支えられているのだ。

そしてブライアン・ウィルソンも元祖「スーパーおたく」の一人に違いない。

本来は昨年の9月に予定されていたコンサートだったが、アメリカの同時多発テロ

の影響でこの日まで延期となった。

申し込んでいたチケットはそのまま使えたので特に気にせぬまま当日を迎えた。

会場の看板には"Brian Wilson Pet Sounds Tour Japan 2002"とあった。

「今回はペットサウンズからの選曲が多いんだろうな」と思った。

ステージに御大は星条旗を胸にあしらったセーターで登場した。

びっくりするくらい声に艶があって、前回とは比べ物にならない。

前回は本当に来日して、コンサートをやること自体が信じられなくて、

歌っているときもちょっとひやひやしながら観ていた記憶があるが、

今回は安心してじっくり曲や演奏に集中できた。

そして、バックミュージシャンとのコーラス、オリジナルを彷彿とさせる

美しい響きだ。こんな美しいコーラスはCDでもなかなか聴けないであろう。

ギターのジェフリー・フォスケット氏、この人がバンマスか…ブライアンがベッドから

出られなくなっていたときの体型にかなり近いかも…しかしその声は最盛期の

ブライアンのコーラスパートがこなせるほどハリがあって思わず聴き惚れる…。

そして紅一点の女性ヴォーカリスト、テイラー・ミルズ嬢もこれまた美しい…。

コンサートは休憩を挟んで2部に分かれていた。

前半が終わった時点でもしかして、アルバムまるごと演るのかなあと思ったら、

その通りだった。こんなにいい演奏なのに、初日のノリはイマイチだったけど、

2日目はアルバムの最終曲"Caroline No"が終わったとき自然と観客全員が

スタンディング・オベイション…そのまま一気にラストまでオールスタンディング、

会場も一体となって盛り上がった。

映画「アマデウス」のなかのワンシーンでモーツァルトが皇帝やイタリア人宮廷

作曲家たちの前で、自作の新作オペラについて「これがドイツ的美徳です」と

誇らしげに語ったのが印象的だったが、この夜、ブライアン・ウィルソンという

天才と彼の才能に惹かれた素晴らしいミュージシャンたちによる歌と演奏は、

まさに「アメリカ的美徳」であると感じた。