伊藤若冲という画家を初めて知ったのは、
今年の1月に東京国立博物館で開かれた「皇室の名宝」展で「動植綵絵」
という鳥や植物を中心とした超細密画のシリーズを見たときだ。
そのときの第一印象は、今回の展覧会のキャッチフレーズにもなっている
ように「こんな絵かきが日本にいたのか!」という新発見の喜びであり、
「日本画絵具でここまで描き込めるのか!」というこれまで見たことのない
写実性と描写力に対する驚きであった。
一言に「写実」や「描写力」といっても若冲はハンパではない。
もう完全に行くとこまで行ってしまっている。
牡丹の花びらの一枚一枚、葉脈の一筋一筋、鶏の羽根の一枚一枚、
人間の観察力の限界を越えた「鬼の描写力」だ。
そんな若冲との衝撃的ともいえる出会いから半年…
回顧展が秋に京都であると知ってから、それは楽しみで仕方なかった。
実際に展覧会を見て、まず感じたのは、まずその圧倒的な作品の量だ。
京都錦小路の大棚の青物問屋に生まれ、弟に家督を譲り、
画業に専念し始めたのが40歳を過ぎてから…
85歳まで生きたので活動年数は40年以上だが、
其々が密度の濃い作品ばかりなので(当然会場にある作品がすべてで
はないだろう)凄まじい創作意欲を晩年まで保ち続けていたに違いない。
「動植綵絵」のような写実作品以外にも、水墨画の特質を生かしきった
「菊花図」、「葡萄図」、「朝顔図」や居合抜きのような鋭いタッチが快い
緊張感を生み出す「月下梅花図」、「梅花図」。
自然主義に徹した若冲には珍しく哲学的な「野晒図」といった味のある
作品群からは、決して空間恐怖症の作家でなかったことがよくわかるし、
禅宗絵画ではおなじみのキャラクター「寒山拾得図」や、子供に頭の上に
乗っかられながらも布袋さんの優しい表情に心和む「布袋唐子図」など
からは、若冲という人は確かにちょっとオタク的なところもあるけど、
きっと温かい性格の持ち主でもあったたんだなと納得してしまう…。
また、臼や茶碗、茶釜などが、ユーモラスな表情で擬人化されている
「付喪神図」や「菜虫譜」に登場するカエルなどに至っては、
後ろでおばちゃんが「あのカニはでかい。高いで~」と言っていた「猿蟹図」
や恍惚状態の表情に思わず吹き出してしまう「猿図」など…
本当に幅広い技量を持った画家だったと感心すると同時に、
ユーモアセンスにたけた人であったと思う。
(「動植綵絵」だけを見ていたら、神経質で気難しいオタクと想像するが…)
「この時期、若冲は対象をスキャニングしていた」と言っていたが、
簡潔でわかりやすい表現だと思う。「動植綵絵」にとりかかる前、
若冲はお寺の庭に鶏を放して、来る日も来る日もじっと眺め続けていた
という。そして、それを一年間続けてからようやく写生を始めた。
一年間己の目でスキャニングしていたのだ。
若冲の目がスキャナーだったとすれば、ただのスキャナーではない。
超ウルトラ高解像度スキャナーだ。
一年間かけてスキャニングされた画像は彼のハードディスクに保存され、
その後、先に挙げたような様々なスタイルにグラフィック加工してから、
作品としてプリントアウトしていったのであろう。
そして、若冲の作品群を前にしてもう一つ感じることは、
対象への愛情である。鳥や花、木々、野菜、魚、猿、犬…
すべての対象に優しいまなざしが注がれている。
それは晩年になるにしたがっていっそう深まっていったようだ。
絵を描くことはまず何よりも対象を観察すること…。
観察することは、対象の本質に迫ること…。
そして本質に迫るためには、
何より対象への「愛情」が必要なのではないか。
そんなことを最後にふと思った。
3時間以上鑑賞したため、痛くなった足を引きずりながらも、
もう一回りしてから、庭園とレンガ建ての外観を持つ建物のコントラストが
美しい京都国立博物館を後にした。