東京駅まで行ったついでに、久々にブリジストン美術館へ行った。
藤島武二といえば、有名な「黒扇」で知られるように人物画の印象が強かった
のだが、今回の展覧会は人物もさることながら、風景画が非常に素晴らしかった。
初期は黒田清輝が提唱した外光派の影響を作品に強く反映する藤島だが、
やがて浪漫主義に傾倒した後、欧州留学を契機に様々なスタイルを試みている。
晩年の岬に波が打ち寄せる様子などを描いた風景画のシリーズでは、出会った
風景に感動しているのはよくわかるのだが、風景自体の迫力にのめり込み過ぎ
ているような感じがして、静かな海や夕暮れの穏やかな入り江の風景などの方が
造形的には惹かれた。
展覧会を見終わった後、隣のスタバで友人のT君と美術雑誌に載っている若手
作家と藤島武二を比較して話す。
T君曰く、「藤島武二の時代から100年過ぎても彼を超える作家が一人すらいない。
科学技術は進歩しても、美術は進歩するどころか逆に退化してしまっている…
ほら、この2点比べて見てみい…」
彼は美術雑誌の表紙にあるリアリズムの人物画と藤島の作品「イタリア婦人像」
のポストカードを同じテーブルの上に並べて僕に見せた。
そう言われてみると、美術雑誌の表紙の作品は、細部までリアルに描いていても
伝わってくるなにか、グッと迫ってくるものがない…。
藤島の肖像画は、それほど緻密に描き込まれているわけではないが、限りなく
饒舌であり、描かれた女性の人生や当時の画家の心境とか、いろんなことが
イメージできる。
「そうか、これって大事だよなあ…。一枚の絵から様々なイメージが湧き上がって
くるだけでなく、時にはその絵をテーマに小説や詩や音楽までができてしまう…
そんな作品が未来永劫本当に素晴らしい!」
そう考えると美術雑誌に載っている絵のほとんどが陳腐に見えてきた…。
T君の指摘は相変わらず鋭いなと思った。